本日7/8、下北沢Daisybarのステージ上でメンバーから発表させて頂きましたが、このたびハリケーンハマー(Gt)とミヤシタツカサ(Dr)がTHE TOKYOを脱退する事になりました。

以下にバンド、ハマー、ツカサからのコメントを掲載します。

初のフルアルバム・リリースも控え、THE TOKYOはその歩みを止める事無くこれからも活動を続けます。
今後ともTHE TOKYOをよろしくお願い致します。



THE TOKYOから皆様へ

突然のお知らせですみません。

2020年7月8日をもち、THE TOKYOからハリケーンハマーとミヤシタツカサが脱退します。

5人でやった青春と楽曲を1st Albumに閉じ込め、今後はコダマアツシ、こだまたいち、ドン・タカシの3人で活動していきます。

諸事情によりハマーはレコーディングに参加出来ませんでしたが、この音楽は紛れもなく5人によるものです。

この決断、夢と十字架を背負い、これからも転がり続けます。

またライブで会える日まで。

THE TOKYO



この度ザトーキョーから脱退する事になりました。
ハリケーンハマーです。

まずはじめに応援して下さったファンの方々や関係者の皆様、本当に長い間お世話になりました!ペコリ

脱退の理由はあって無い様な物で、
どんな言い訳をしようとバンドと自分のお互いが、
もう一緒にやれなくなったと言う事だと思ってます。

それに俺としては簡単に続けてたつもりも無いし、
他のメンバーもみんなそう、
ギリギリの中でやってきたから、
こうなった事は寧ろ誇らしいとさえ感じます。

ザトーキョーには20台前半位から今までの、
約7-8年いました。

本当に最初は演奏も下手で、
客も知り合いしかいない様な、
「始めたて」の状態から
なんとかみんなで色々考えて今日の状態までやってこれました。

ザトーキョーとしての目標にはまだまだ達成していないけど、
最初の頃を思い返すと笑っちゃうくらい頑張ったと思います。

本当はまだまだ伝えたい事や、
みんなに話したい事は沢山あるけれど、
ここでは長くなりすぎるし、いつか話せる機会に話したいと思います。

最後に、メンバーへ

コダマ、ドン、タイチ、ツカサ

本当にお疲れ様。
今まで沢山の思い出をありがとう!
生まれ変わったら、また一緒にバンドやろう!

じゃあね!



『人間到る処青山あり 』
(じんかん、いたるところせいざんあり)

「世の中その気になればどこででも死ねるということ。また、そうであるから故郷を離れ世界に雄飛するのに躊躇してはいけないということ。」

自分の座右の銘です。

人間は世の中、青山は墓地。
覚悟のような諦めのような、葛藤するこの言葉がとても好きです。

自分は基本的に根なし草です。
留める、留まるために例えば住む場所を変えないことであるとか、バンドに所属することで自らに楔を打ちつけ無理やり居場所を決めてきた節があります。

1つ大きな楔が外れました。
「無限の可能性が!」「まだ見ぬ未来が!」を思うよりも、あまりに茫洋な海を前にして途方にくれてしまったのは事実です。
楔が抜けたらそこにある穴が気になるのはしょうがないことでしょう。

同時に名前を失くしました。
至るところで、例えば行きつけの居酒屋で、バンドマンであると名乗ってきた自分は、恥ずかしながらどんな顔をしてそこへ行けばいいかわからなくなりました。
というより、現状を、変わってしまったことを話さねばならないのがとても億劫でした。
変わらないこと、変わってないように見せることが自分の長所だと思っているので当然でしょうか。

あらゆる関係は変わると覚悟しました。
ですが、ありがたいことに、思ったより自分は自分であることで居場所を作れていたようで、当たり前なのかも知れませんが、憐れむような人はとりあえずおらず、自意識過剰、杞憂でした。

ある強い友人からは
「凹む理由が全くわからない、俺は宮下司に魅力を感じて付き合っている」
と全く寄り添わない形の励ましをもらい、ならばととりあえず今日まで生き延びました。

この事態を受け、何度も口に入れ、咀嚼し、飲み込み、反芻を繰り返しました。
結果、消化することは能いませんでした。

だからこそ、湧いた戸惑いでさえ忘れしまう、そんな性分な自分は、ままならない感情をままならないという形でお伝えします。

もしかすると、このコメントが発表される頃にはこんなことを思ったことも忘れて飲み呆けているかも知れません。

ただこの先、ふとした瞬間に、好きだったあの曲を叩くことはもうないのだと断崖に苛まれることもあるかも知れません。

正直、現在の自分にとって、このバンドの門出とこれからを素直に祝福することはかないません。

それでも、応援してくださった方たちに、直接姿も見せぬままのお別れになってしまったこと、本当に申し訳なく思います。
頂いた手紙やプレゼントは1つ残らず手元に残してます。
それは、自分にとってかけがえのない軌跡です。
一時であってもスポットライトを浴びる人生というのはとても得難いものでした。

以上、何の別れの言葉にもなってないかも知れませんが、自分がこの出来事の消化を放棄した以上、こうなった、ということしか言えません。
何がどうしたからこうなったかということも、こうなったからどうした、ということもありません。

こうなりました。

誰も彼も、ライブハウスでお会いすることはもうありませんが、どこかの居酒屋なんかでお会いした日には
『そんな時代もあったねと』
話すことぐらいは許されるのではないでしょうか。

さて、どこへ飲み行こうか。

2020年6月某日 宮下司